■ 健光園だより

2012年4月 6日

■ 平成24年度新入職者研修における理事長講演

 人間は誰でも「より良く生きたい」と願っている。ところで、より良く生きるということはどういうことなのか、どう生きれば人間としての人生を全とうしたことになるのか。また、人間は何のために生きているのか。人生において求め続けるべき価値とは何か。この問いについて私たちは若い時から高齢に至るまで悩み続け試行錯誤している。まさにこの問い(悩み=苦)は人類(ホモサピエンス)の歴史と共に今日まで連綿と続いている。しかし、この問いには明確で唯一無二の答などは存在しない。

 ただ言えることは「私たちは今、まさに命を生きている」という紛れも無い事実(真実)である。そしてその命は永遠ではなく、限りあるものだということ。また、私たちは個体として存在しているということ。親から頂いた命であるが、親の命とは別ものである。親が死んでも自分は生きている。また、自分が死んでも子は生きている。このように別もの(別の個体)だから命は繋がっていくのであり、命とは実に不思議な存在である。

 人間の悩みはこのように個体として限りある命を生きていることにその根源がある。しかし、このことにおいて全ての命は平等である。根源的に同じ悩みを「共有」しているのである。人間という言葉の意味は「個体と個体との関係性によって人は人間になる」ということである。人間は単にヒトの遺伝子を受け継いだだけでは人間にならない。そこに人と人との関係が結ばれてこそ人間になる。それが「人の間(あいだ)」と書いて人間と呼ぶいわれである。

 人間とは個体であると同時に社会的存在なのである。人間は社会を創り、社会が人間を創るのである。その意味において人間は「主体的存在であると同時に社会的存在」であり、人間は「主体的に生きると同時に社会的に生きる」のである。

さて、社会福祉(ソーシャル・ウエルフェア、ソーシャル・ウエルビーング)とは何のために何をすることなのであろうか。それは上記のことからもわかるように、単に個体としての幸福(よりよく生きること)を追求するのではなく、「主体的存在であると同時に社会的存在」である人間の幸福(共により良く生きること)を追求することである。そしてその方法とは、社会的に幸福を追求することであり、協同してより良い社会を築くことに尽きる。人間である限り「一人では幸福になれない」のである。まさに「一人は万人のために、万人は一人のために」を実践することでしか幸福は追求できないのである。この営みは永遠の営みである。

 ところで社会福祉法人健光園は社会福祉法に基づく法人であるが、単に公的な社会福祉事業の下請け組織ではない。その本質は「民間社会福祉の実践主体」である。その定款第1条には以下のように書かれている。

 「この社会福祉法人は、宗教的社会奉仕の信念に基づいて、福祉サービスを必要とする人々が、心身ともに健やかに生活でき、又は社会、経済、文化その他のあらゆる分野の活動をする機会を得るとともに、その環境、年齢及び心身の状況に応じ、その独立心が尊重され、地域において必要な福祉サービスを総合的に活用できるように支援することを目的として、次の社会福祉事業を行う。」

【参考】厚生労働省・社会福祉法人定款準則では定款第1条は以下のように表現されている。

 「この社会福祉法人(以下「法人」という。)は、多様な福祉サービスがその利用者の意向を尊重して総合的に提供されるよう創意工夫することにより、利用者が、個人の尊厳を保持しつつ、心身ともに健やかに育成され、又はその有する能力に応じ自立した日常生活を地域社会において営むことができるよう支援することを目的として、次の社会福祉事業を行う。」

 では社会福祉法人とは如何なる法人か。これは第2次世界大戦後の1951(昭和26年)に制定された社会福祉事業法(現・社会福祉法)に基づく法人で、民間における公的社会福祉事業の主たる事業主体であると同時に、民間が担うべきボランタリーな社会福祉の実践主体として「社会福祉事業の純粋性」を守ることを任務とする法人である。

社会福祉は憲法にも規定されているように国や地方自治体などが公的責任において実施すべきものと理解されているが、公的社会福祉(制度的社会福祉)が社会福祉の全てではない。社会福祉には民間にしか担い得ないものも少なくない。決して民間社会福祉は公的福祉を代替しまたは補完するだけの存在ではなく、優れて創造的であり、主体的なものである。

 また、法律や公的制度に基づく社会福祉といえどもその全てが社会福祉として常に正しく実施されているとは限らない。社会福祉法人はその社会福祉実践において公的社会福祉の誤謬を発見した場合は直ちにそのことを社会的に明らかにし、是正するための行動を起こさなければならない。そうしたことが民間社会福祉の主たる担い手である社会福祉法人の大きな役割であり責任なのである。

 こうした考え方は憲法が示している「公私分離の原則」に基づくものである。公には公固有の役割と責任があり、民(私)にもまた固有の役割と責任がある。それぞれの役割と責任は決して他に転嫁してはならないのである。私たちはそこに民間社会福祉の担い手としての誇りと自覚をもって日々の実践に当たらなければならない。

【参考】1956(昭和31)年度の厚生白書には以下のような記述がある。

 現行憲法に「社会福祉」という言葉が使われてから、戦前の社会事業という名称にかわって、一般に社会福祉事業という言葉が用いられるようになった。この社会福祉事業は、社会福祉の向上および増進が国の責務である旨を憲法が規定していることから考えても、公的責任に属する分野が大きいことは当然であって、生活保護事業、身体障害者福祉事業および児童福祉事業などが、それぞれの根拠法規に基づいて、国および地方公共団体の責任と負担において行われているのであるが、これらの事業を、われわれは公的社会福祉事業と呼んでいる。

 しかし、社会福祉の問題は、このような公的責任において措置されるべきもののほかに、個人や民間団体の自主的な活動にまつべき分野も、決して少なくない。個人や民間団体の活動すなわち民間社会福祉事業が、その能力に応じ創意を生かして社会福祉の向上と増進に努め、開拓的あるいは補完的な活動を展開することにより、公的社会福祉事業と相まって、はじめて充分な成果を挙げることができるのである。

 ただ、このような公私の社会福祉活動の協力関係については、公私の責任分野を明確にし、公的責任が民間に転嫁されないようにすることが大切であるし、また、民間社会福祉事業の側においても、その公共性と純粋性を守ること、いたずらに公けに依存しないこと、その活動の基盤として社会福祉事業の地域的組織化ならびに計画化を図ること、またその財政的基礎の安定を図ることなどが必要である。

このような意味から、戦後の民間社会福祉事業については、社会福祉事業法による規制(社会福祉法人の制度など)が行われ、また社会福祉協議会や共同募金および社会福祉事業振興会などの組織が確立されたのである。

 上記のことから言えるように、民間社会福祉の考え方の基本には「当事者主権」という考え方がある。この場合、当事者とは言うまでもなく社会福祉課題の担い手(社会福祉ニーズの体現者)である。狭義には要介護高齢者や重度の障害児者、或いは親の保護を受けられない児童などであるが、ここではそうした狭義の当事者だけを意味するのではなく、私たち全てが当事者であるという考え方である。

 例えば信号の無いところで横断歩道を渡ろうとしている視力障害者がいるとしよう。彼は白杖を持ってはいるが大変困っている様子である。しかし、誰一人として彼に声を掛ける者がいない。ヤットそこに子どもを連れた女性が同じく横断しようと左右の安全を確認していた。その時、白杖に気づき「一緒に渡りましょうか」と声を掛けた。彼はホッとした様子で彼女の腕を軽くつかんで渡っていった。

 この時、もしその女性が声を掛けなかったとしたら彼はどうなっていたであろうか。この場合、狭義の当事者は横断に困っている視力障害者である。声を掛けて一緒に渡ってくれた女性は彼にとって環境である。そうした環境があれば彼は安心して横断ができる。しかしそうした環境がなければ彼はヒョッとして事故に遭うかもしれない。

 障害とは単に彼自身の身体的状況だけを意味するのではなく、このように「環境が障害をつくっている」と考えるのがICF(International Classification of Functioning, Disability and Health 国際生活機能分類~国際障害分類改訂版。2001年のWHO総会で採択)の考え方である。勿論、この横断歩道に音声付信号機を設置すれば良いという考え方もある。社会がそうしたシステムを用意するかどうか、それには行政の担当部署における判断基準や予算等の諸条件が大いに影響する。しかし、多くの人々がその場所に音声信号機をつけるべきだと運動すれば早期に設置される可能性は大きい。

 このように障害とは文化的環境や制度的環境によって大いに影響を受けるものである。 従って、障害とは特定の身体状況にある人だけの問題ではなく、私たち一人ひとりの行動文化や社会制度が作り出すものである。そうした意味において私たち全てが当事者なのである。互いにどこまで理解し合えるのか、どこまで助け合えるのか、そうした「学び合いと助け合いの関係」こそが障害を増加させたり減少させたりするのである。障害は決してそれぞれの個体の問題ではないのである。

 健光園では1981年以来、「脱・老人ホーム」を宣言し、「生涯地域居住」を目指している。しかし、社会状況はむしろ悪化している。特別養護老人ホームへの入所希望者(待機者)が全国に40万人以上いるのである。そこで、政府はコストが高くつく特養の代わりにサービス付き高齢者住宅を量産し、そうした「住宅(第三の住まい)」に定期巡回・随時対応型訪問介護看護という新型のサービスを外付けして何とかこの状況を乗り切ろうとしている。果たしてこれが住み慣れた地域での生活を支援する良い方法(システム)といえるのであろうか。私たちは耳ざわりの良い「地域包括ケアシステム」という言葉にはこうした現実が含まれていることに大いに注意しなければならない。

 ところで、健光園は30年以上も前に「脱・老人ホーム」を宣言したにも関わらず2000年度の「ももやま」開設をはじめ、「はなぞの」や「藤城の家」を作りつづけ、今回また大規模な「あらしやま」を開設しようとしている。従って「言っていることとやっていることが大変矛盾している」という批判は甘んじて受けなければならない。

 しかし、これも社会福祉のジレンマの一つである。理念を追求すると同時に現実に向き合わなければならないのである。健光園は1975(昭和50)年に「さが」で特養を開設した。しかし、これは第1次オイルショックによって当初の計画を大きく変更し、「8人部屋」の特養としてスタートせざるを得なかったのである。そのため健光園では1982(昭和57)年以来、何とかして「8人部屋」の現実を改善したいと京都市に繰り返し要望を続けてきた。

 その甲斐あってやっと「ももやま」が実現した。これが出来れば「さが」の特養は8人部屋を解消できると喜んだのであるが、行政の突然の方針変更により「さが」からは1人も「ももやま」に来ることは出来なかった。その後、再挑戦した「はなぞの」には「さが」から40人の特養利用者が移転する筈であったが経済的な事情から希望者が少なく、課題は再び先送りとなったのである。従って「あらしやま」は三度目の挑戦で、やっと念願がかなうことになったのである。実に32年という年月が掛かってしまった。しかし、まだ養護老人ホーム(40人)のリニューアルという大きな仕事が残っている。2015(平成27)年を目指して取り組む計画である。

 健光園の養護老人ホームはこの度創設63周年を迎えた。まだ戦争の爪あとが大きく残っていた1949(昭和24)年4月1日に、醍醐の同和園と府立洛北寮(現在の洛南寮)に続く京都で3番目の養老院として誕生したのである。

 「養護老人ホームは如何にあるべきか?」という議論は既に古くて新しい。健光園としてはこの問いにどういった答えを出すべきか、これから本格的な議論が始まる。特養以上に幅広いニーズに応えるべき新しい社会資源として再生させたいと思っている。社会的リハビリテーションを目指す施設(利用者の社会復帰を支援する施設)にできればと願っている。

 これからも健光園は全ての人々の「生涯地域居住」を目指して、大変厳しい現実ではあるが、くじけることなく頑張って行きたいと思っている。それには何よりもコミュニティの再生が大前提となる。介護等の社会サービスの充実も重要であるが、それ以上に、「学び合いと助け合い」の近隣社会を創ることが不可欠である。これこそ民間社会福祉の最重要課題である。コミュニティづくり(まちづくり)には何よりも市民・住民の主体的な取り組みが重要である。そして、全ての企業も同様に社会的責任を自覚してコミュニティづくりに取り組むべきである。そうした市民や企業の主体的な努力と共に行政としての課題も少なくない。これら三者が協同しなければより良いコミュニティ(課題を共有する関係)は生まれない。

 社会福祉は「人と人、人と企業、人と社会」を結ぶリエゾンワークである。介護の「介」という字には人と人を結ぶという意味がある。ケアという言葉には人生を大事にするという意味がある。人間は関係性の中でしか生きていけない存在である。その関係には多くの苦しみや悲しみも伴う。それが生きるということなのである。まさに人生は四苦八苦である。しかし、それでこそ真の楽しみや喜びにつながる。「老いと死は全ての価値の根源である」ということをシッカリと自覚して人生を生きて欲しいと願っている。

 

社会福祉法人 健光園

理事長 小國英夫

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